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音楽教育学の博士後期課程の学生です。グラウンデッド・セオリー・アプローチは私たちの領域にはまだ浸透していませんが、技能の習得において、その学習過程に存在する環境や他者との相互作用を解明するためにはこのような方法論に基づいて分析を進めていくことが必要だと考え、独学で本から学んでいます。

先生の著書を読み、「問いを立てる」というテクニックが気になりました。展開力がありそうなのですが、いまひとつ具体的にどう活用するのかがわかりませんので、質問させて下さい。

どんなふうに問いを立てれば良いのでしょうか? また、「問いを立てる」ことが、プロパティやディメンションを増やすのに役立つというのはわかるのですが、他にどのように分析に役立つのでしょうか?
<Oさん(音楽研究科博士後期課程)>
Oと申します。カリフォルニアの大学で学んでおり、現在修士論文の執筆中です。テーマは、大学のアカデミックカウンセラーのキャリア形成において求められるスキルは何か? を分析しています。

指導教授は、特に研究法自体にはこだわっておらず、「質的研究」ならばどのようなものでもかまわないとおっしゃるのですが(極論すれば、データを切り貼りして自分なりの分析をしたものでも)、私としては、理論化とまではいかなくとも、この研究の成果を1つのモデル、フレームワークとして完成させて、今後の日本での議論を行っていく上での土台となれればと考えています。

そこで、グラウンデット・セオリーについて書籍を読み、戈木クレイグヒル滋子先生の著作も数冊拝読し、手順そのものについては、少し理解したのですが、ここで根本的な問題に直面しています。

というのは、私の研究は、最終的にモデルとして理論化を目指していますが、ある特定の現象を分析するものではないということです。たとえば、先生の著書にありますように、「子供の死に直面した小児科の看護師に起こっていること」といった一現象ではなく、ある程度の期間にわたる業務経験の中で被インタビュー者が行ったことや・必要と感じていることを探っていくものです。インタビューデータの一部は現象となる可能性はありますが、全体としてはむしろライフヒストリーにちかいものになりそうです。

そのため、ラベル化からカテゴリー、サブカテゴリーにまとめ、セオリーとしていく過程には非常に興味があり、心が惹かれるものがあるのですが、その反面、私の研究にあっているのか悩んでいます。

現状ではインタビューは多くて12名ほどにとどまる見込みです。今回修士であることや、今後博士課程でもっと突き詰めていきたいと希望していますので、今回は、この手法を利用して自分なりに研究すること、を目標としています。

そこで伺いたいのですが、グラウンデットセオリーは、あくまで現象を捉えるものにしか適さないであって、この研究法の利用はそもそも無理があることでしょうか? また応用可能でしたら、どのような適用方法があるのかご教示いただけないでしょうか? お忙しい中大変恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
<Oさん(大学院生)より>

「看護師が患者の治療選択にどのように関わっているのか」という研究テーマで、看護師を対象にしたデータ収集をおこなっています。しかし、実際に収集したデータでは、「看護師がどう関わっているか」という内容はあまり収集できず、「患者がどう行動したか」という内容しか収集できていません。

このように研究テーマとデータの内容が乖離した場合、どのようにデータを分析すれば良いのでしょうか?あくまでデータに忠実にということはわかるのですが...、どうしたらよいのか悩んでいます。

<Aさん(学部生)より>

看護系の大学で院生を指導しています。院生の年齢や背景やレベルはまちまちですが、修士論文指導に時間がかかる点は同じです。隣の芝生は青いと言いますが、先生のところでは論文指導がスムーズに進んでいるようにみえますので質問させてください。

私の大学の修士課程では、基礎的な研究に関する講義が1年生の春になされた後は、各教員の責任で指導することになっています。学生が実際に研究を始めるのは2年生になってからで、いつも時間がありません。私は学生がとってきた1例目の分析は一緒にやりますが、2例目からは自分で同じようにやるように指導しています。ところが、いつまでも「できない」と言って泣きついてくる人がほとんどです。分析につきあいたいのは山々ですが、時間がありません。こんな状況の中で、いったいどう指導すればいいのか、と途方に暮れることがよくあります。とくに、この時期、修士論文の提出期限が近づくと、毎日院生の指導面接が入り、他のことは一切できません。

先生もお忙しくなさっているのは同じだと思いますが、どうなさっているのでしょうか?

<修論指導に悲鳴を上げるAさん(教師)より>
ひとつ、ご助言をお願いします。インタビューの時に、いつも1対1でやっていたのですが、夫婦2人で一緒にインタビューを受けたいという方がいらっしゃいました。このような場合、データをどのように扱えば良いのでしょうか?  やはり複数の方が話せばお互いが影響を及ぼしあっていくはずなので、インタビューで得られる内容も影響を受けることと、お話しいただく中でお互いの認識の違いに気付かれて、お二人の関係に影響が出ないかどうかにも心配がありました。

<Aさんより>
はじめまして。戈木先生の本を両手に持ちながら、初めてGTAに挑戦している修士論文作成中(来年1月に提出です)の看護学研究科の大学院生です。

分析を行う過程で一つ迷っていることがあり、メールさせていただきました。

インターナショナルナーシングレビュー.32(1).2009のp49を参考に分析の手順に従い、プロパティ、ディメンション、ラベル名、カテゴリーを構成する各切片データに戻りながら抽象度を上げていく作業を行っています。自分が作成したその一覧を他者が見たときに「サブカテゴリーがないのはなぜ?」と聞かれ、1つの現象から中心となるカテゴリーを選択し、そのまとまりとして考えていた他のカテゴリーをサブカテゴリーにすることをお伝えしたら、納得されていないようでした。それ以上、相手に納得のいく説明ができないままで、すっきりしていない状態です。

自分の周囲の方も戈木先生の本を用いながら試行錯誤しています。ラベル名を上げた後にサブカテゴリー、カテゴリーと抽象度を上げていく方法なのか、ラベル名を上げた後カテゴリーを考え、1つの現象の中心となるカテゴリーを選択し、他のカテゴリーをサブカテゴリーとして使用してよいのか、もしくは別の方法であるのかを教えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

<Wさん(大学院生)より>

ブログ編集の皆様

はじめまして。看護研究で,グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて論文を執筆している大学院生です。周囲にストラウス派のグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた研究をされている方を見つけることができず、御協力いただいている対象者の皆様への感謝と戈木先生の書籍やこのブログを心の支えに少しずつ日々分析を進めています。分析の途中経過については、時折、大学院の研究報告会で、指導教員や他の院生の方々に説明し、意見をいただいている状況です。そのような現状の中で、質問があり、今回メールを差し上げました。要領を得ない質問になるかもしれませんが何卒よろしくお願いいたします。

●1点目の質問
最近の研究報告会で、質的研究で別の内容分析を行っている院生の方から、グランデッド・セオリー・アプローチでは、分析において、概念名の妥当性などはどのようにして確認するのか。という質問がありました。その方の内容分析では、まず一人の分析者データからラベル、カテゴリーまで分析を進め、その後、別の人に、データ、ラベル、カテゴリーまでを記載したものを渡し、読んでもらい、1人目の分析者と2人目の 分析者の一致度が高いかどうかという作業が必要とのことでした。同じ方法を用いた研究者の方との検討やスーパーバイズを受けることが容易ではない現状で研究を進めている状況で、このまま分析を進めていいのかという疑問が芽生えました。

●2点目の質問
現在、収集したデータの分析を少しずつ進めていますが、リッチなデータとは言い難く、インタビューの難しさを痛感しています。とりあえず、1文ずつ切片化し、ラベル名をつけ、連載の140号のラベルからカテゴリーへの抽象度の上げ方について詳しい解説などを何度も読み返しチャレンジするのですが、どうしてもカテゴリーへのまとめ方、カテゴリー名を考えるところでつまずいてしまいます。あまりリッチではないデータからのラベル化、そしてカテゴリー化は横道にそれていることになるのではないかと堂々めぐりを続けています。対象者の皆様のご協力を無駄にしたくない一心で、机に向かっていますが、このような場合の対処法があれば教えていただければ幸いです。

<「もうすぐママに」さん(大学院生)より>

グラウンデッドセオリーの質問以前の問題かもしれませんが、よろしくお願いします。

心理学専攻なのですが、たとえば精神科医や臨床心理士や教授などのプロがインタビューをおこなったインタビューが分析された場合には、「信頼性や妥当性がある」と考えられても、まだインタビューがはじめてという学生が「いくつか先行研究や本を元に質問項目を用意して、インタビューしました。インタビューは半構造化面接で、インタビューの質問項目以外の質問も、話の流れによって出てきました。それを分析してまとめました」といっても、そのインタビューの質問項目やインタビューをした人自体に、信頼性や妥当性がなければ、どう説明するのか??? という問題につきあたっています。

問題があるというか、そこをどう説明すれば、質的な研究をしていない人たちにも、「インタビュー」の結果に信頼性・妥当性があるのです、といえるのでしょうか・・・

インタビューの手順やインタビューの質問項目が先行研究で何度も使われていて、だから妥当性や信頼性があるのですという以外に、ないのでしょうか。

「半構造化面接」とひとくちで言っても、アマチュアの学生がおこなうものですから、本当に信頼性や妥当性があるものであるかといわれたら、「そうです」と言うための根拠に乏しいのです。

好きなことを適当におしゃべりするのではなく、「知りたいこと」「聞きたいこと」を聞いていっても、それが「半構造化面接というインタビューをしました」「信頼性と妥当性があります」とはっきり言えるほどのものなのかどうか・・・・ という根本的な問題です。

<いいださん(大学院生・心理学専攻)より>

最近、ある先生から学生指導についてどうしたら良いかとご質問いただきました。その先生は、学部生の質が最近特に落ちてきたと嘆いておられました。

その際、私は、論文であれレポートであれ、「考え方」が身についていないのが問題なのではないか、ということを先生にいい、『グランデッド・セオリー・アプローチ 理論を生み出すまでの話を 先生にしました。そして、これを参考にして学生に指導したらどうかと提案しました。

そうしましたら、来年度からグランデッド・セオリー・アプローチの方法を使ってゼミで考え方の指導をやってみようということになりました。

しかしながら、どういう事例を取り上げたら良いのか、どうやって指導すればいいのか、ということで悩んでおられるようです。

経営学にかかわるものに関しては、どういうものを最初は取り上げ、学生に指導を行ったら良いのでしょうか?

<Oさん(大学院生:経営学専攻)より>

GTAはプロセス分析が唯一の適応目的なのでしょうか?

先日聞いた院生の修士論文の発表の中に、GTAを使ってカテゴリーを3つの要因に分けている研究がありました。具体的には、10人の女子大生に「様々な体験を通して、いかに父親像が形成されていくか」というテーマでインタビューを行い、逐語をGTAで分析していました。

そして、ラベルを24抽出し、10のカテゴリーに分け、それをさらに社会性・養育性・異性性という3つの要因に分けていました。発表後、「GTAはプロセス分析であって、あなたのはKJ法なのでは?」と質問されていました。しかし、大学院生は研究の過程でデータに密着して絶えざる比較をしていましたし、私はKJ法とは違うと思いました。こういう風にプロセス分析というよりも内容分析のような目的でGTAを使用してもいいのではと考えますが、どうでしょうか?

<Tさん(心理系大学院生)より>

グラウンデッド・セオリー・アプローチについての質問募集!

このブログでは、グラウンデッド・セオリー・アプローチについてのさまざまなご質問にお答えします。詳しくはこちら

INRについて

INR連載関連データ

第1回 139号/09 Winter
第2回 140号/09 Spring
第3回 142号/09 Summer
第4回 143号/09 Autumn
第5回 144号/10 Winter
第6回 145号/10 Spring なし
第7回 147号/10 Summer なし
最終回 148号/10 Autumn
(※141・146号は臨時増刊号のため連載はお休みです)